石倉城
- 読み:いしくらじょう
- 別名:-
- 所在地:群馬県前橋市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:長尾氏、内藤氏、寺尾氏
- 文化財指定:-
石倉城は、利根川西岸の崖上の平地に築かれた平城で、文明17年(1485)に上野国守護代長尾忠房の嫡男・憲景が築いたのが始まりとされる。永禄6年(1563)、上州へ勢力を伸ばす武田信玄が城主長尾長景不在の隙にこの城を乗っ取り、利根川対岸の厩橋城攻略の足掛かりとする。永禄8年(1565)には上杉謙信によって奪還されるが、翌永禄9年に再び奪い返し、内藤政豊に城を任せた。天正3年(1575)の長篠の合戦で政豊が討ち死にすると、後を継いだ息子の外記は北条氏に降り、寺尾左馬助が石倉城に入った。天正18年(1590)年の小田原征伐では徳川家康の進攻を受けて落城した。
築城当初は利根川の流れは現在よりも東にあったが、度重なる利根川の氾濫により、現在では本丸の大部分が利根川に削り取られている。また、城域のほとんどは宅地化が進み、遺構はほとんど見られない。
石倉城縄張図(現地案内板より)。
利根川沿いに築かれた本丸を二の丸、三の丸、外曲輪がコの字に取り囲んでいた。
本丸はもっと広かったようだが、利根川の流れに削り取られている。
石倉城二の丸公園。
周囲は宅地化が進み、遺構はほとんど見られない。
石倉城二の丸公園に建つ石碑。揮毫は福田赳夫。
写真奥の木が茂っているあたりのさらに先に本丸があったと思われる。
訪城:平成19年6月9日
群馬 上野