丸岩城

  • 読み:まるいわじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡長野原町(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:羽尾氏、真田氏
  • 文化財指定:-

丸岩城は吾妻川南岸の岩山上に築かれた山城で、永禄年間(1558~1570)に羽根尾城の羽尾幸全が築城したともいわれているが定かではない。北条氏の西吾妻進行に備えて真田昌幸が築城したともいわれている。南以外の三方を断崖によって囲まれ、山頂部の主郭を中心に東と北西に細長い曲輪が伸びる。天正10年(1582)、武田氏滅亡後に吾妻へ進行を始めた北条氏が須賀尾峠を越えて西吾妻へ入ろうとした際には、真田昌幸が湯本氏、西窪氏、横谷氏、鎌原氏など西吾妻の豪族を丸岩城に交代で駐屯させ、これに対抗している。

丸岩城周辺図(地理院地図より)。
三方を断崖に囲まれ、入口は南に限定されている。

吾妻川北岸の林地区から見た丸岩城。
切り立った断崖が目立つ。

国道406号からの登城口。

人一人通るのがやっとの登城道。

南の鞍部。
丸岩城には目立った堀切はないが、ここは天然の堀切のようになっている。

鞍部から主郭への登城道に設けられた土塁。

主郭南の虎口。

主郭を東側から見たところ。
低い土塁によって囲まれている。

主郭から見下ろす吾妻川。
現在は八ッ場ダムの湖水になっている。

主郭の東へ伸びる細長い曲輪。

東に伸びる曲輪に安置された大弁才天。

東に伸びる曲輪の突端部。
ここから先は断崖絶壁になっている。

東に伸びる曲輪の北側斜面にはこのような小さな曲輪がいくつも設けられている。

主郭の北西へ伸びる曲輪。
奥の丘の上が主郭。
北西の曲輪は東の曲輪に比べて傾斜が大きい。

北西に伸びる尾根の突端。
ここから先は断崖絶壁になっている。

訪城:平成20年3月22日・令和7年4月6日

群馬 上野