松本城

  • 読み:まつもとじょう
  • 別名:深志城、烏城
  • 所在地:長野県松本市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:坂西氏、島立氏、小笠原氏、武田氏、木曽氏、石川氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和5年11月19日)、国宝(天守)(昭和27年3月29日)
  • 日本100名城(29番)

松本城は、東と南を女鳥羽川、西を田川と奈良井川に囲まれた平地に築かれた平城で、室町時代に深志郷を支配していた坂西氏が築いた館を前身とする。永正元年(1504)に林城を本拠とする信濃守護小笠原氏の配下の島立氏が支城の一つとして深志城を築いたとされるが、当時の深志城がどのような構造であったかははっきりしていない。天文年間(1532~1554)になると甲斐の武田晴信(信玄)の進攻を受け、天文19年(1550)に小笠原長時は当地を追い出された。武田氏は林城を破棄して深志城に大幅な改良を加え、以後、北信濃進出の拠点となった。天正10年(1582)に武田氏が滅ぶと木曽の木曽義昌が深志城に入ったが、小笠原長時の弟の洞雪斎が上杉景勝の後ろ盾を得て木曽義昌を放逐し、深志城を奪還した。しかし、洞雪斎は小笠原旧臣の支持を得ていなかった。同年7月に小笠原貞慶(長時の嫡男)が旧臣の支持と徳川家康の後援を受けて深志城を攻め、洞雪斎と貞慶の交渉により深志城は貞慶に明け渡された。貞慶は深志を松本と改め、城郭と城下町の整備を進めている。

天正18年(1590)に徳川家康が関東へ異封となると小笠原氏も家康に従って下総国古河へ移っていった。代わって豊臣秀吉配下の石川数正が松本城に入った。数正とその子の康長は小笠原氏が整備した松本城の拡張を進め、康長の時代には天守が築かれた。慶長18年(1613)、康長が大久保長安事件に連座して改易されると小笠原氏が再び松本城主に返り咲いた。その後は戸田氏、松平氏(雲州松平氏)、水野氏と城主が代わる。享保10年(1725)に水野忠恒が江戸城で刃傷事件を起こすと水野氏は改易され、松本城は一時幕府に接収される。翌享保11年(1726)、再び戸田氏が松本に入り、明治4年(1871)の廃藩置県まで松本藩主を務めた。現在は本丸と二の丸が松本城址公園に、三の丸は市街地となっている。

松本城の縄張り(地理院地図を加工)。
本丸の東・南・西を二の丸が囲み、本丸と二の丸を三の丸が囲む半梯郭式・半輪郭式の縄張りであった。
一番外側の総堀は北東部以外が埋められ、外堀は二の丸の西と南西部が埋められている。

松本城の南を流れる女鳥羽川。

大手門枡形跡。
現在は写真奥に四柱神社が鎮座している。

三の丸の西側に残る総堀土塁。
公園になっていて、断面についての説明板が設置されている。

北東部に残る総堀を北側から見たところ。

北東部に残る総堀を南側から見たところ。

二の丸の東の虎口の太鼓門。
明治に破却されたが、平成11年(1999)に復元された。

太鼓門前から外堀を見たところ。

外堀の北東部を北側から見たところ。
堀の内側の高台は二の丸丑寅隅櫓跡。

南東部の外堀。

南西部の外堀は埋められている。

二の丸北東部。
二の丸庭園の跡が平面復元されている。
二の丸御殿は本丸御殿があった時には副政庁の役割を負っていたが、享保12年(1727)に本丸御殿が焼失すると藩庁機能のすべてが二の丸御殿へ移された。明治になると筑摩県庁として利用されたが明治9年(1876)に焼失した。

二の丸御殿の御金蔵。
天守以外で唯一の現存建物で、明治9年(1876)の二の丸御殿の火災でも焼失しなかった。

二の丸の南側から天守を見たところ。
奥には北アルプスが見える。

二の丸の南西部から天守を見たところ。
ここからは天守のすべての建物が見え、左から乾小天守、渡櫓、大天守、辰巳附櫓、月見櫓を確認できる。
全国に12しかない現存天守の一つで、全国に5つしかない国宝に指定されている天守の一つ。
設計当初は大天守最上階に廻縁(バルコニー)が設けられていたが、後に廻縁部分の外側に壁が造られるよう変更されたため、頭でっかちな印象を受ける大天守になっている。

二の丸北西部から見る天守。

本丸の南の虎口の黒門。
昭和35年(1960)に復元された。

大天守最上階から本丸を見下ろしたところ。
本丸御殿の輪郭が平面復元されている。
本丸御殿は松本藩の藩庁として利用されたが、享保12年(1727)に焼失し、以降再建されることはなかった。

本丸内部から見た天守。

本丸北裏門跡。

本丸北側の土塁。

天守内部

渡櫓に設けられた天守入口。

乾小天守1階。
実際は大天守の北に設けられているが、「北」は敗北に通じるため乾とつけられている。

天守に設けられた狭間。
手前が矢狭間で奥が鉄砲狭間。

大天守3階。
この階は窓がなく天井も低いため、外部からはこの階の存在がわからなくなっている。

大天守4階。
有事の際に城主が詰める御座所が設けられている。

大天守5階。

大天守6階。
壁際には設計当初の廻縁の名残が見られる。

大天守6階の屋根裏に祀られる二十六夜神。
享保の火災では本丸御殿は焼けてしまったが、二十六夜神の加護で天守は焼けなかったと言い伝えられている。

辰巳附櫓内部。

月見櫓内部。
赤い手すりの廻縁が設けられている。
現存天守で天守と一体となった月見櫓を持つのは松本城だけである。

訪城:平成19年9月2日、平成24年3月20日、平成28年11月27日、平成29年11月26日、令和2年10月25日、令和6年1月13日、令和7年1月31日

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