鍋倉城
- 読み:鍋倉城
- 別名:横田城、遠野城
- 所在地:岩手県遠野市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:阿曽沼氏、南部氏
- 文化財指定:-
鍋倉城は、遠野盆地の南端の来内川西岸に築かれた平山城で、天正年間(1573~91)に横田城から本拠を移した阿曽沼広郷によって築かれた。築城当初は横田城と呼ばれていた。阿曽沼広郷は現在の遠野市から釜石市を支配していたが、天正18年(1590)の秀吉の小田原攻めに参加しなかったことから八戸の南部信直の配下に組み込まれた。慶長5年(1600)、広郷の子の阿曽沼広長は一族の鱒沢氏に遠野を追われ、世田米を拠点に伊達政宗の支援を受けながら遠野奪還を試みたが、かなわず没落していった。寛永4年(1627)、八戸から南部直義が遠野に入部。鍋倉城は、明治2年(1869)に廃城となるまで遠野南部氏1万2500石の居城となった。現在は鍋倉公園となっている。
鍋倉城概要図(地理院地図より)。
鍋倉城の北の登城口。
南部神社の鳥居が建てられている。
南部神社。
遠野南部氏の祖である南部実長から8代政光までを祭神としている。
南部神社から本丸方面へと至る道。
本丸北西に設けられた沢里屋敷。
南部氏重臣の沢里氏の屋敷があったとされている。
本丸。
東西50メートル、南北150メートルほどの広大な曲輪。
城の屋敷は南北に長い平屋で、屋根は茅葺であったと伝えられている。
本丸にあった八幡神社跡。
本丸玄関跡。
本丸の東に設けられた大手門の跡。
阿曽沼氏の時代には二階造りの二楼門であったが、慶長7年(1602)に四ツ足門に改められた。
本丸の東に設けられた三の丸。
南部氏重臣の中館氏、福田氏の屋敷があったとされている。
三の丸から遠野市街を見たところ。
三の丸に造られた模擬天守風の展望台。
本丸(右)と二の丸(左)の間に設けられた深さ5メートルほどの空堀。
二の丸御門跡。
本丸の南に設けられた二の丸。
現在は墓地になっている。
訪城:平成22年7月31日
岩手 陸奥