桜城

  • 読み:さくらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県諏訪郡下諏訪町(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:金刺氏、武田氏
  • 文化財指定:-

桜城は、諏訪湖北岸の諏訪大社下社秋宮の背後の山に築かれた城で、築城時期はわかっていないが、代々下社の大祝を務めた金刺氏が霞ヶ城を築いた後に詰の城として築いたと考えられている。 に隣接して築かれた城で、築城時期ははっきりしていないが、代々の下社大祝を務めた金刺氏の居城であった。金刺氏は南北朝時代の文和4年(1355)に北朝方につき、南朝方の諏訪氏と対立。永正15年(1518)、諏訪頼満は金刺昌春を攻め、昌春は甲斐の武田信虎に援護を要請。武田氏は金刺氏を笹尾塁に立てこもらせ諏訪氏と戦わせたが、諏訪氏の進攻により笹尾塁は放棄。これにより金刺氏は没落していくこととなった。武田氏が諏訪氏を滅ぼすと、桜城は下諏訪方面防衛のために整備され、武田氏滅亡とともに廃城となったと考えられている。

南麓から見た桜城。
主郭の右(東)に、堀切が設けられているのがわかる。

主郭。

主郭に設けられた展望台から見た下諏訪の町並みと諏訪湖。
写真中央下のこんもりとした森が、下社秋宮と霞ヶ城跡。

主郭から南面を見下ろしたところ。
段々に曲輪のようなものが設けられているが、城の遺構なのか耕作地なのかはっきりしない。

主郭の東に設けられた堀切。

さらに東に設けられた堀切。

そのさらに東に設けられた堀切。
主郭東側は三重の堀切によって守られている。

主郭の西には、このような曲輪が何段か設けられている。

主郭西面の秋葉社などが建てられている曲輪。
湯泉神社の鳥居は塩ビ管で作られている。

一念石。
流鏑馬に臨む金刺盛澄が度々この場所を訪れ、座禅を組み精神統一をしていたことから一念石と呼ばれている。

西麓から主郭への道は一念坂と呼ばれている。
こちら側が大手だったと思われる。

訪城:平成21年11月28日

長野 信濃