高岡城
- 読み:たかおかじょう
- 別名:-
- 所在地:富山県高岡市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:前田氏
- 文化財指定:国指定史跡(平成27年3月10日)
- 日本100名城(33番)
高岡城は、東の庄川と西の小矢部川に挟まれた平地の中央に築かれた平城で、慶長14年(1609)に前田利長によって築かれた。慶長10年(1605)に隠居して富山城へ移った前田利長であったが、慶長14年(1609)の火災で富山城の大半が焼失し、魚津城へ移った。幕府より新たな城の築城許可を受けて関野の地に高岡城を築き、同年9月に利長は高岡城へ移った。慶長19年(1614)に利長は死去し、翌元和元年(1615)に一国一城令により廃城となった。以後は高岡町奉行の管轄下となり、加賀藩の米蔵や火薬蔵などがおかれた。
明治になるといち早く城址公園として整備され、その城域のほとんどは市街化を免れて残存している。
高岡城縄張図(現地案内板より)。
高山右近による縄張と伝えられている。
南外濠にかかる駐春橋。
往時には存在せず、明治14年(1881)にかけられたもの。
駐春橋から見た南外濠。
幅は20m以上ある。
二の丸に鎮座する護国神社。
二の丸と本丸をつなぐ土橋を鍛冶丸から見たところ。
往時の石垣が現在も残っている。
二の丸と本丸をつなぐ土橋から見た西内濠。
本丸。
中央部から東部には有史1300年余りの射水神社が鎮座している。
本丸西部は広々とした芝生公園になっており、周囲を土塁が取り囲んでいる。
本丸に立つ前田利長の像。
本丸の西、西外濠にかかる本丸橋。
本丸橋から西外濠を見たところ。
本丸の北東部にある児童公園。
ここに天守があったのではないかといわれているが、そもそも高岡城に天守があったか定かでない。
本丸井戸。
本丸の北にかかる朝陽橋。
往時には存在せず、明治11年(1878)から存在しています。
本丸から朝陽橋を渡ると小さな曲輪があり、梅林になっている。
古城公園の最北部に当たる小竹藪。
本丸に次ぐ広さ。
三の丸。
市民体育館などが建てられている。
三の丸と明丸の間の濠。
鍛冶丸方面とつながっていて、枡形濠を形成している。
明丸。
動物園が設けられている。
明丸と鍛冶丸の間の濠。
鍛冶丸。
博物館が建てられています。
鍛冶丸と城外をつなぐ土橋。
往時はここが大手になっていた。
訪城:平成21年7月25日
富山 越中