上田城
- 読み:うえだじょう
- 別名:尼ヶ淵城
- 所在地:長野県上田市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:真田氏、仙石氏、松平氏(藤井)
- 文化財指定:国指定史跡(昭和9年12月28日)
- 日本100名城(27番)
上田城は、千曲川北岸の崖上の平地に築かれた崖端城で、天正11年(1583)に真田昌幸によって築かれた。築城開始時の真田氏は徳川家康に属し、上田城は徳川家康の援助を受けて上杉氏への備えとしての役目が期待されたが、天正13年(1585)に上州の帰属を巡って家康と対立。同年8月には家康の軍勢7000が築城中の上田城に迫ったが、昌幸はこれを撃退している(第一次上田合戦)。天正18年(1590)には金箔瓦を使用するなど織豊系城郭を意識した大規模な改修が行われている。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いでは真田昌幸と次男の信繁は西軍に、長男で沼田城主の信幸は東軍に属した。東軍は2つに分けられ、家康は東海道を、家康の嫡男・秀忠は中山道を進軍した。秀忠は道中に存在する上田城からの追撃を警戒し攻略しようとするが、昌幸・信繁親子の前に苦戦。足止めを喰らい関ヶ原に遅参する(第二次上田合戦)。秀忠は遅参したものの関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わり、昌幸・信繁親子は紀州九度山に流され、上田城は徹底的に破却された。その後の上田城は信幸(後に信之に改名)に預けられ、信之は三の丸に藩主館を築いた。元和8年(1622)、信之は松代藩へ移封され、代わって小諸藩から仙石忠政が上田藩に入った。仙石忠政は破却されていた上田城の再建を進めたが、寛永5年(1628)に忠政が死去すると再建は中断された。宝永3年(1706)には戦国史が但馬へ転封となり、代わって藤井松平家が上田藩に入った。以後は明治維新まで藤井松平家が上田藩主を務めた。現在は本丸と二の丸が上田城跡公園になっている。
上田城縄張図(現地案内板より)。
本丸の東、西、北を二の丸が囲み、二の丸の東に三の丸が配置されている。
三の丸には藩主屋敷である御屋敷と中屋敷が設けられた。
現在見られる遺構は仙石氏の時代に再建されたものであるが、大まかな縄張は真田氏の時代と変わらないものと考えられている。
本丸東虎口櫓門。北櫓(右)、南櫓(左)。
櫓門は平成6年(1994)に復元されたもの。
北櫓と南櫓は民間に払い下げられて移築され、二棟を繋いで遊郭として利用されていたが、昭和24年(1949)に元の場所に戻っている。
本丸東虎口前の土橋から本丸を囲む堀を見たところ。
上の写真の反対側を見たところ。
空堀になっている。
櫓門と北櫓。
北櫓の石垣に用いられている真田石。
真田信之が松代転封にあたり持っていこうとしたが、びくともしなかったのでそのまま置いていったと伝えられる。
櫓門と南櫓。
南櫓1階。
南櫓2階。
復元された櫓門内部。
奥の扉の向こうが北櫓。
北櫓1階。
北櫓2階。
本丸東虎口を抜けて本丸に入ると現れる真田神社。
真田昌幸・信繁親子が知恵の神として祀られている。
真田神社の拝殿の裏にある真田井戸。
太郎山へ繋がる抜け穴が続いていたともいわれている。
本丸を東側から見たところ。
本丸を西側から見たところ。
本丸の東、北、西を囲む土塁。
土塁の隅には櫓が建てられ、現存する北櫓・南櫓。西櫓と合わせて7棟の櫓が設けられていた。
北西隅櫓跡。
北東隅櫓跡。
本丸北東隅は鬼門除けのために切欠が行われ角が二つあったこともあり、2棟の櫓が建てられていた。
本丸西虎口の西櫓の反対側の土塁上にも櫓が設けられていた。
西櫓。
北櫓と南櫓が戻ってくるまでは上田城に残る唯一の現存櫓だった。
平成28年(2016)に公開された西櫓の内部。
西櫓付近に建てられた真田幸村(信繁)像。
本丸西虎口。
尼ヶ淵から見上げる西櫓と南櫓。
尼ヶ淵は千曲川の支流で、往時は上田城のすぐ下は川であった。
本丸西虎口から本丸を取り囲む堀を見たところ。
本丸を取り囲む堀の北側を二の丸北西部から見たところ。
二の丸の西側。
二の丸西側の土塁。
二の丸北側に鎮座する招魂社。
二の丸北虎口。
二の丸の北西に設けられた百間堀の跡。
現在はグラウンドになっている。
百間堀の石垣に設けられた水路の跡。
二の丸東側。
二の丸東側の土塁。
二の丸の東側に設けられた空堀。
昭和2年(1927)から昭和47年(1972)まで堀底は上田交通真田傍陽線の線路として利用され、公園駅のプラットホームが設けられていた。
二の丸橋から二の丸東虎口を見たところ。
石垣の上には櫓が設けられていた。
二の丸西側と小泉曲輪の間に設けられた堀。
二の丸の西に設けられた小泉曲輪。
上田城の築城以前に小泉氏の城館があったところと伝えられる。
三の丸に設けられた藩主居館を取り囲む堀。
現在は東側と北側の一部のみが残されている。
写真は北東隅の堀。
藩主居館東側の堀。
藩主居館の門。
藩主居館は現在は上田高校の敷地となっている。
三の丸中屋敷跡。
僅かに輪郭が残っている。
上田城の東端に設けられた大手門跡。
訪城:平成19年5月19日、平成20年4月5日・12日、平成26年4月21日、平成26年8月31日、平成28年2月27日、令和6年1月13日、令和6年4月6日、令和7年1月31日
長野 信濃