上原城

  • 読み:うえはらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県茅野市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:諏訪氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和46年5月27日)

上原城は、上川東岸の永明寺山の西面に築かれた山城で、康正2年(1456)に諏訪氏大祝家と対立した諏訪氏惣領家によって築かれた。文明15年(1483)、大祝家当主継満が、惣領職も独占しようと惣領家当主政満とその子・若宮丸らを謀殺。諏訪大社社家衆の反発を招き、継満は高遠へ追放された。これにより、惣領政満の次男・頼満が惣領と大祝を相続することとなった。諏訪氏はその後、頼隆、頼重と続くが、天文11年(1542)6月、甲斐の武田晴信(信玄)の攻撃を受けると、頼重は上原城を捨て桑原城に籠城。同年7月、武田側からの和睦の申し入れにより、頼重は桑原城を開城。甲府の東光寺に幽閉され、7月21日に切腹し諏訪惣領家は滅亡した。以後、上原城とその館は、武田氏の信濃攻略の拠点の一つとなり、天正10年(1582)の武田氏の滅亡まで続いた。山中にあることから遺構が破壊されず良好に残っている。

上原城概要図(現地案内板より)。左が北。
山の上の詰の城と麓の居館部に分かれている。

主郭背後の入口。 奥の山ははなれ山。

はなれ山(右)と主郭(左)の間の堀切。
深さは10メートルほどある。

上の写真の大堀切は竪堀となって下へ伸びている。

二郭。
奥には物見岩と呼ばれる巨大な岩がある。

物見岩。
滑りやすい岩であり、実際に物見台として使われた可能性は低いと思われる。
右下の金毘羅神社の屋根と比較するとその巨大さがよくわかる。

三郭。
現在は金毘羅神社が建っている。

三郭の隅に再現された水の手。

三郭から見た茅野市街。

主郭。
背後のみ土塁が設けられている。

居館部

山麓に設けられた居館跡。
城が武田氏の手に落ちてから板垣信方の居館が置かれたことから「板垣平」と呼ばれている。

現在はほとんど農地化している。

遺構か不明ですが石積が見られる。

訪城:平成21年5月9日

長野 信濃