湯本氏館

  • 読み:ゆもとしやかた
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡草津町(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:湯本氏
  • 文化財指定:-

湯本氏館は、湯畑の東の小高い丘に築かれた館で、鎌倉時代初期にはすでにこの地に居を構えていたと考えられる。草津温泉は標高1200メートルに位置し冬は深い雪に埋もれるため、冬は下流の小雨に降りて生活し、春から秋は草津で過ごしていたという。湯本氏は海野一族とされるが、伝説によると元は木曽義仲配下の細野氏を名乗り、寿永3年(1184)の粟津の戦いの敗戦以降は上信国境の細野平(細野氏館)に隠れ住んでいたが、建久4年(1193)、源頼朝が浅間山北麓に狩りに訪れた際に細野御殿介がその案内をし、草津温泉を発見したことから湯本の苗字と草津の地を与えられたとされる。湯本氏は戦国時代には岩櫃斉藤氏に従っていたが、湯本幸政は永禄7年(1564)に武田氏に従うようになり、天正10年(1587)に武田氏が滅亡すると幸政の甥の三郎右衛門が引き続き真田氏に仕えた。江戸時代には松代藩とそこから分立した沼田藩に仕えたが、沼田藩が取り潰しとなる前に武家の湯本氏は断絶している。現在は観光施設が整備され遺構は消滅しているが、周囲より高い地形に館の名残が見られる。

南麓の地蔵源泉前から見た湯本氏館。

東麓から見た湯本氏館。

現在は観光施設が整備され遺構はほとんど見られない。

西に位置する湯畑。
湯本氏館は写真奥のホテル大東館の裏側にあった。

訪城:令和7年7月5日

群馬 上野