白鳥城

  • 読み:しらとりじょう
  • 別名:呉福山城、五福山城
  • 所在地:富山県富山市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:今井氏、神保氏、上杉氏、佐々氏、羽柴氏、前田氏
  • 文化財指定:-

白鳥城は、神通川西岸の富山平野を一望する呉羽丘陵の峰上に築かれた山城で、寿永2年(1183)に木曽義仲の配下の今井兼平が陣を張ったのが始まりとされている。それ以前にも弥生時代の集落が築かれたことがわかっている。戦国時代には越中守護代神保長職が上杉謙信の進攻に備えるために呉羽山丘陵を本格的に整備。永禄5年(1562)、神保氏はこの城に籠もって上杉氏と戦い降伏し、城は上杉氏のものとなった。元亀3年(1572)には西から押し寄せてきた一揆勢によって白鳥城は落城。上杉謙信の死後は、織田信長配下の佐々成政が富山城に入り、白鳥城はその支城となった。信長の死後、羽柴秀吉と佐々成政は対立し、天正18年(1585)の越中攻めでは、成政が放棄した白鳥城に秀吉が本陣を敷いている。秀吉の陣が敷かれた頃の遺構はほとんどが消失したが、発掘調査により本丸を囲む空堀と土塁跡や敷石の跡が見つかっている。成政の降伏後は前田利家が富山城に入り、富山城の支城として慶長年間(1596~1615)初頭まで存続したと考えられている。

現在見られる遺構は前田氏の時代のもので、本丸、二の丸、三の丸が峰上に並び、少し離れて東出丸が残っている。

南東麓の安田城から見る白鳥城。

駐車場に建つ白鳥城跡の碑。

駐車場から西に行ったところに設けられた東出丸。

東出丸から東側の富山平野を見たところ。

東出丸から西へ続く長い通路を抜けると三の丸が現れる。

三の丸と二の丸の間の堀切。

三の丸の西に設けられた二の丸。

二の丸の西の隅に設けられた井戸の跡。

二の丸の西に設けられた本丸。

本丸の北に一段低く設けられた本丸下郭。

城域の最北部に設けられた北二の丸。

北二の丸の虎口。

本丸の西に設けられた西一の丸。

西一の丸の西に設けられた西二の丸。

西二の丸の虎口。
白鳥城は西側への防御は薄く、東の上杉氏を意識しての縄張りがされているようである。

訪城:平成21年7月25日

富山 越中