八王子城

  • 読み:はちおうじじょう
  • 別名:-
  • 所在地:東京都八王子市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:北条氏
  • 文化財指定:国指定特別史跡(昭和26年6月9日)
  • 日本100名城(22番)

八王子城は、深沢山の山頂部とその南麓の城山川沿いに築かれた山城で、永禄12年(1569)に北条氏照の居城・滝山城が武田信玄に攻められ落城寸前にまで陥った経験から、より強固な居城として築城され、天正12年~15年(1584~87)頃に完成したとされる。城山川沿いの居館部と深沢山の山頂部の要害地区に分かれ、北条氏の山城の集大成ともいえる。天正18年(1590)、名胡桃城事件をきっかけに豊臣秀吉による小田原征伐が始まり、関東の北条氏の諸城は次々と落とされていった。6月23日、八王子城は小田原在城の城主・氏照を欠いたまま秀吉配下の前田利家、上杉景勝ら北方軍の攻撃を受け一日で落城。城兵のほか、女子供などの非戦闘員も惨殺された。八王子城の落城は小田原城に在城する将らに衝撃を与え、小田原城の開城を促すきっかけとなったといわれている。北条氏が降伏した後の関東には徳川家康が転封となり、八王子城は禁制地とされた。そのため遺構は良好に残されている。

居館地区

八王子城全体図(現地案内板より)。
右上が北。城山川沿いの居館部と山上の要害地区に分かれている。

東麓の駐車場から見た八王子城。。
中央の山が要害地区。

3段に分かれたアシダ曲輪。
「アシダ」の名の由来は不明だが、倉庫が建ち並んでいたようである。

アシダ曲輪の上部に建つ観音堂。

大手門の跡。
昭和63年(1988)の発掘作業で大手門の存在が確認されている。

大手門から御主殿方面へ続く古道。

模擬曳橋と御主殿。奥の山の上は要害地区。

復元された御主殿への虎口。

御主殿の模擬冠木門。

広大な御主殿。
御主殿の名のとおり、往時は城主の居館が築かれていた。

御主殿の城山川側は土塁が取り囲んでいる。

御主殿から模擬曳橋を見下ろしたところ。

御主殿から要害地区へ登る道の途中に現れる石垣群。
現在こちらの道は荒れており、要害地区へ向かうのは困難。

御主殿の下を流れる城山川の御主殿の滝。
落城の日、城内の女性たちが滝の上で自刃し滝に身を投げたといわれている。
滝の水は彼女たちの血で3日間赤く染まったと伝えられている。

要害地区

要害地区への登山口。
山頂部に祀られる八王子神社の鳥居が建っている。

鳥居から10分ほど登ると現れる金子丸。

金子丸から10分弱で現れる8合目の柵門台。
金子丸方面、山王台方面、陣場街道方面、本丸方面への4つの道が交わる要衝。

柵門台から10分弱登ったところにある9合目の高丸。

高丸からやはり10分弱で本丸地区の腰曲輪に到着。
この上が八王子神社のある中の曲輪。

腰曲輪から見る関東平野。

腰曲輪から崖沿いの道を進むと積みなおされた石垣が現れる。

松木曲輪。

松木曲輪の下の中の曲輪。
八王子神社が鎮座する。

八王子神社の背後に設けられた本丸。
本丸の名に反してあまり広くなく、櫓台程度のものが建っていたと考えられる。

本丸地区から詰城方面へ向かうと現れる炊井の井戸。

井戸から10分弱の馬冷しの堀切。

詰城の手前には大きな石がごろごろ転がっている。

詰城。
大天守台とも呼ばれているがここに天守があったとは思えず、櫓台程度の物が建っていたと考えられる。

詰城から15分ほどの富士見台。

富士見台から眺める富士山。

訪城:平成24年2月18日

東京 武蔵