山田城

  • 読み:やまだじょう
  • 別名:山田古城
  • 所在地:群馬県吾妻郡中之条町(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:山田氏
  • 文化財指定:中之条町指定史跡(平成7年12月1日)

山田城は、四万川西岸に向かって突き出した薬師岳の尾根の東端に築かれた城で、築城年代ははっきりしていないが、上杉家文書の『関東幕注文』には、永禄3年(1560)に山田氏が山田城の城主であったことが記されている。永禄6年(1563)、山田氏は岩櫃城から越後へと逃げる斉藤憲広の供をして上越国境まで赴き、嵩山城に残る城虎丸の後事などを託されている。永禄8年(1565)の嵩山合戦後に山田城は廃城になったものと考えられる。令和3年(2022)に山林の伐採整備が行われたところ、水の手曲輪の池の水が復活している。

主郭。

主郭から北へと曲輪が続いている。

主郭の南東に位置する水の手曲輪。
往時は池があったが、平成末期には湿地となっていた。

湿地帯となっていた水の手曲輪だが、令和3年(2022)に森林整備が行われたところ池が復活している。

水の手曲輪から北へと伸びる堀切。

城の南側には土塁と虎口が残っている。

訪城:平成23年12月17日・令和4年3月30日

群馬 上野