真田氏本城
- 読み:さなだしほんじょう
- 別名:真田城、松尾城、松尾新城、住連寺城
- 所在地:長野県上田市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:真田氏
- 文化財指定:上田市指定史跡(昭和47年4月1日)
真田氏本城は、神川南東の丘陵に面した山上に築かれた山城で、天文年間(1532~1555)に真田氏が築城したといわれる。真田氏は幸綱が武田氏の信濃先方衆として天文20年(1551)に戸石城を攻略した頃に真田氏館を築いて居館とし、真田氏本城は詰城のひとつとして利用されたと考えられている。真田氏本城という名がつけられているが後世つけられたものであり、本当に真田氏が本城としていたかは定かでない。幸綱の死後は長男・信綱が後を継ぐが、天正3年(1575)の長篠の合戦で武田側に参加していた信綱と次兄昌輝が戦死。これにより、武藤氏の養子となり武藤喜兵衛と称していた幸綱の三男・昌幸が家督を継ぐこととなった。天正10年(1582)、武田氏が滅亡。翌天正11年(1583)には上田平に新たな居城・上田城の築城を開始した。上田城は天正13年(1585)に完成し、これにともなって真田氏本城も廃されたと見られている。
真田氏本城縄張図(現地案内板より)。右が北。
本郭、二郭、三郭が南北に並び、本郭土塁背後の南斜面にはいくつもの段郭が設けられた。
西麓のゆきむら夢工房から見る真田氏本城(中央の山)。
南斜面の段郭群から本郭方面を見たところ。
段郭群に設けられた堀切の跡。
段郭群から上田方面を見たところ。
写真中央の盆地に横たわるような山は戸石城。
この場所は平成28年(2016)の大河ドラマ「真田丸」で若き真田信繁が高梨内記の娘・きりと会話する場面で使われた。
本郭土塁とその南の堀切跡。
本郭側から本郭土塁を見たところ。
本郭北端から本郭を見たところ。
東西10メートル弱、南北40メートル弱の細長い曲輪。
二郭北端から二郭を見たところ。
本郭とほぼ同規模の曲輪。
二郭の西側斜面には石積が設けられている。
二郭と三郭の間には堀切の跡が残っている。
三郭北端から三郭を見たところ。
三郭の南端の西側に設けられた虎口。
三郭の西側の一段下に設けられた腰郭。
三郭北端の切岸。
真田氏本城から東側を見たところ。
正面の山には松尾古城が築かれている。
訪城:平成15年11月22日、平成18年3月11日、平成21年3月7日、平成24年12月24日、平成27年4月29日、平成27年5月3日、令和6年4月6日
長野 信濃